No.61 叔母の介護をしながら介護への心使いを学んだ
何が大切だろう。自分に教えてくれた人が僕にはいる。
それはずばり、叔母だ。
その叔母の介護に行き、学んだことを今日は書こう。
誰か介護してくれる人はいないかしら?
そう探す親戚に白羽の矢がたったのは、先月務めていた会社がつぶれて絶賛ニート中の僕へだ。
しかし経験もないんだ、自信なんて、勿論ない。
そう思いつつも行くしかない。叔母は近所に住んでいる。
中々立派な家の住人だ。
叔母に家族は娘夫婦とその一人娘がいて同居しているが皆働き盛りの為、面倒を見ることが正直厳しいのであろう。まあ、分かる。
「きたよー」靴を脱ぎ、声をかける。
「ああ、けいくん」そうです、「けいです」。
今日の体調や血圧、食欲について叔母に聞く。うん、調子いい感じ、ひとまず安心。
叔母に水分補給させ、とりあえずオムツがどうなってるか確認し、今のとこは問題ないことはわかった。
今日はスムーズにいろいろ進む。
「天気もいいから散歩行こうか」叔母を車椅子に乗せ、介護用の靴はかせ一応、頓服薬、水分など持ち、近くの公園まで行くことにした。叔母の最近のお気に入りのルートだ。
季節はもう初秋だからか少し冷たい風が時々吹く。
風邪ひかないか心配したが、叔母はしゃんとしている。
少し安心した。逆に、「けいくんが風邪ひかないか心配」と言われ叔母に「大丈夫」と微笑み返した。
そうなんだ。叔母は優しいんだ。僕への心遣いがとっても、優しいんだ。
器用じゃないし、優しくないよ、僕は。叔母の介護を見るうち色々な事を思うようになった。
生活についてだったり、人への思いやり。
例えば今の僕には体に不自由さはない。
しかし前までは体に不自由さがでたら、生活もかわるしその「不自由」がついた生活を、荒れずに愛することが出来るだろうか。
それが出来ない、難しい人も沢山いることを知っている。人への思いやりもそうだ。
不自由を背負って優しくなんて厳しいだろう、なんせ体調が少し悪いだけでもそれは難しいんだ。
そんな難しいことを叔母はできることができる、ただただ尊敬だ。
それに気づかせてくれてから、叔母、周りへの心遣いが僕なりに変わったと、僕は実感している。
それ叔母が僕に一番教えてくれた大切なことだと僕は思う。