No.17 【介護のこと】今まで気にもならなかったことが急に大変に
人間には想像力があるから、自分が体験していないことでも手を貸したり、先回りして動くことが出来る。でも怪我や病気に関することは、自分が経験しているとより理解出来るのは確かだ。私はしばらく前に足を怪我して入院したことがある。幸いなことに大ごとにはならず1ヶ月程度で元のように歩けるようになったのだが、この時の経験は決して小さなものではなかったと感じている。
実はここ数年、母が「足が痛い」とか「物忘れが激しくなった」とか口にするようになっていた。年齢的なものもあるし病気というわけではないから、それほど深刻に捉えたことはなかったと思う。それは確かにその通りなのだけれど、足が痛かったり物忘れが激しくなったらどういう気持ちになるのかは分かっていなかった。そのことを痛感したのが、足を怪我した時だ。
私が足を怪我した時、日常生活のサポートを松葉杖に頼ることになった。松葉杖を扱うのが初めてだったこともあるが、今まで気にもならなかったことがことごとく引っかかる。玄関アプローチや家内外の段差、階段の上り下り。入浴や日常生活の中で感じる不便さ、薄暗い中で動かなければならない時の不安。それが年齢からくる痛みで不可避なものだったとしても、不安や恐れ、不便さは同じはずだった。
どうしても用事があってやっと外出しても、そこにも躓きがある。自動ドアでも引き戸でもない扉、濡れると滑りそうなフロア。車椅子や松葉杖なら気がついて手を貸してくれる人がいるかもしれない。しかしパッと見問題がないが故に、老人だというだけで助けを期待するのは難しい。想像力だけでは補いきれない現実が確かにあるのだ。
私個人に関しては、怪我する前と後では確実に理解の幅が広がったから、今までよりも母の不便さや悔しさに対して思いを致せる余地は広がった。後は想像力と思いやりで補えると嬉しい。怪我から得るべきものがあったとしたら、私の場合はまさにそれだった。